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Hurricane#1

INTERVIEW

来日記念・インタビュー連載
EPISODE #1
ハリケーン#1は何故解散した?

来日が決まったハリケーン#1のメンバー、アレックス・ロウとクリス・キャンベルに
UKツアー中のThe Mayflowersがインタビューを行いました。

場所はビートルズがプリーズ・プリーズ・ミーを書いたPUBとして有名なYe Cracke@Liverpool.UK

メ:アレックスが音楽を始めるきっかけから聞かせて頂けますか?

(以下、Alex Lowe:ア, Chris Campbell:ク, The Mayflowers:メ)

ア:そーだな、ガキの頃にビートルズのFor Saleを聞いたことが音楽をしたいと思わせた一番大きなきっかけだな。14か15の時には常にロックスターになりたいと思ってて、常に音楽をやりたいと夢見てたな。10代の俺にはどうすればいいかとかわからなかったけど、とにかく曲を聞くのが好きだったんだ。15になる頃には初めてバンドを組んだんだ。ロックバンドだ。Hurricane#1を結成するまでやってたんだぜ。笑っちまうんだけど、Hurricane#1に加入したとき、俺は歳を取りすぎてたんだ。すでに12年間も唄ってたからな。つまり、26歳で加入するまでにある程度経験を積んでたから、初めて唄う熱い新人みたいに唄えなかったんだよ。まあそんなとこだな、音楽を好きなのとか、ギターを弾きたいのとか、ロックスターになりたかった理由は。

 

 

 

 

 

 

:幼少期からハリケーン結成までのことを教えて頂けますか?

ア:ああ。12歳の頃にはきちんとした学校教育を受けれてなくて13歳になったら一切教育を受けてなかったんだ。ボクサーだった俺は賞金のために15歳くらいまでストリートファイトをしてたんだ。金のために路上でやり合ってたんだ。確かにタフな時期だったけど「色々なことに感謝しないといけないな」って思うようになったんだ。みんな大変な経験をして気づくやつだ。「神様ありがとよ」って。神様が人生を与えてくれてもすげえスピードで過ぎてくだろ、多くに感謝しないとな。ほかにもクソみたいな仕事をしてたんだ。チキンいるだろ。捕まえてカゴに集めてくんだ。そんなんでひとつの仕事なんだぜ。ひどかった、今思い返してもひどかったな。人生を思い返して一番狂った仕事ってある?俺は今考えてもそれがダントツでひどかったぜ。そんな教育も十分に受けてなかった俺に元ボクサーの爺さんがボクシングをすすめてくれたんだ。それで始めたんだ、もちろんプロボクサーになるつもりだった。でも自分がどれほど音楽を愛してるのかを段々と再発見したんだ。ボクサーじゃなくてミュージシャンになりてえって、それでボクシングは辞めたんだ。9年間もやってたけどな。音楽を始めてギターを持ったことでファイト漬けの毎日が変わっていったんだ。でも音楽だけでそんなにうまくいくはずもなかったな。

それからガキの頃なんだけど、親父は全然家に帰らなくて、出て行っちまってお袋とは離婚したんだ。ガキの頃は大変だったな。タフだったのは間違いないんだけど、嫌でも向き合わなきゃなんねえし成長して強くなるしかなかったんだ。

 

メ:どんな人も大変な経験をして成長するものですよね。

 

ア:その通りだ!どうなりたいかを考えて毎日行動すればおのずとあるべき姿になるんだよ。さっき言ったようにタフな人生は人を強くさせる。めちゃくちゃ足場の悪いところを進んでるみたいなもんだよな。踏ん張るか、倒れるかだ。

ク:進むか、諦めるかどっちかしかねえよな。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

メ:なぜハリケーン#1は解散してしまったんでしょうか?

 

ア:OK。良い質問だ。それほど多くの人は知らないし、どんなだったか説明するよ。フィンランドのライブだった、1999年のことだ。フェスに参加してパフォーマンスはしたんだけどプレイする前、まだホテルの部屋にいたときアンディがやって来て、テーブルを囲んで座ると「バンドを解散させたい」って言ってきたんだ、「バンドを終わらせたい」って。「マジかよ」ってなるよな。理由を聞いたら「これ以上曲を書けない」ってことだった。「辞めるなんて言うなよ、続けようぜ」って説得したけど「もう書けない、たくさんは作曲できないんだ」って。「俺が曲書くよ、一度書かせてくれよ」って言ったんだけど彼は俺には書いて欲しいとは思ってなかったみたいなんだ。そんなことがあったら気になっちまって、雰囲気が良くなるはずねえよな。次の日、空港に行ってアンディは「グッバイ」でお別れだった。

 

メ:ライブそのものはできたんですね?

 

ア:ああやったぜ。翌日にアンディは行っちまったけどな。

 

メ:突然だったんですね・・・

 

ア:めちゃくちゃ急だったな。

 

メ:それも苦しい経験のひとつですね

 

ア:ああ。その時は「なんでだよ!」って思ったね。だって2000年には大きなジャパンツアーも考えてたんだぜ!でもアンディはやろうとしなかったんだ、3000人、4000人っていう大規模ツアーだったのにな。

 

メ:ジャパンツアーは実現できなかったんですね・・・

 

ア:実は彼についてはみんな少し勘違いしてる部分があってだな・・・アンディのことを天使みたいにいいやつだと思ってるかもしれないけど少し違うんだよな。一緒に仕事をするのは難しいタイプだった。もちろんいいやつなのは間違いないぜ!俺はアンディのこと大好きだし彼はナイスガイだ!ただ、一緒に歩くのは難しかったんだ。ユーモアが足りねえんだよ、あんまり笑わねえんだ。いつも真面目すぎるんだ。

 

メ:日本人みたいにユーモアが足りなくてストイックすぎるんですね。笑

 

ア&ク:(僕らを指さして)ハハハハハ~!!

 

メ:私たちも足りないので。笑

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

メ:ハリケーン解散後、アレックスはどういった音楽活動をしていたんですか?

ア:ソロ作品をソニージャパンに送ってリリースしてもらったりしたな。よくやってくれたよ。

それからLAに行ってモーターヘッドのレミーと一緒に過ごしたんだ。しばらく一緒に曲を書いたりLAを満喫したり。

 

メ:アレックスとレミーが一緒に!?

 

ア:そうだ。自分の人生の時間を過ごしてたんだ。

ハリケーンが解散した上に、音楽業界はあっという間に変化していくし本当に大変だった。それでも曲を書き続けて、音楽活動を続けて、自分のスタジオにスタッフを呼んだりして”いつか状況は変わる”と信じて常に動いてた。解散は99年っていうめちゃくちゃ昔だけど、そこから今までの間に音楽ビジネスは完全に変わってしまったよな。まあ諦めず前進あるのみだ。

 

メ:アレックスはソロ作品をたくさんリリースしてますよね?持ってます!

 

ア:俺のソロ?ナイス!

 

メ:レミーの訃報、アレックスにとってはとてもつらいものだったんではないですか?

 

ア:ああ・・・レミーに初めて会ったのは1997年にハリケーンでUSツアーをまわってるときだった。ハリウッドのレインボー・ルームっていうクールな会場でだ。

 

メ:Melodic Rainbows!(新作)

 

ア:イエー!このアルバムはレミーに捧げてるんだ。Rainbow room~Melodic Rainbows。

 

メ:話を聞いててそうじゃないかと思ったんです!

 

ア:だから今回の件は本当に悲しかったよ。97年以来連絡は取り合ってたし、一緒に一月近くは過ごしたし・・・とにかくよく連絡し合ってたな。病気で苦しんでることとか、助かりそうにないことを知ってつらかったよ。だって彼は男の中の男なんだぜ。ただのロックスターじゃないんだ、骨の髄までロックスターだ。常に自分の意思に正直で、誰かの為に自分を曲げたりせず、自分の信じるへヴィーロック・ロックンロールを続けてた。レミーみたいなやつにはもう会えないだろうな。ほんとに愛すべきファンタスティックな紳士だ。

EPISODE #2(アレックスの闘病生活からの再結成)へ続く

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